- 1949年 東京出身
- 10代で音楽活動、ティーブ・釜萢氏に認められ1973年渡米、ジャズの歌唱を学ぶ。
- 帰国後、作詞家の加藤省吾氏に見出され、NHK紅白プロデューサー勝田稔氏の後楯で
- 歌謡界入りを勧められる一方、野口久光氏、いソノてルヲ氏の計らいでジャズ界入り
- 1979年森寿男とブルーコーツオーケストラの専属シンガーとなる。
- その後も著名ジャズバンドで活躍。デューク・エリントンオーケストラ、
- テディ・ウィルソン等、本場のジャズミュージシャンとも数多く共演。
- 平成の時代に入り、スタンダード音楽が陰りを見せる80年代後半には、
歌手活動を一時休止し、
ジャズレーベルを立ち上げプロデューサーとして
戦後メインストリームジャズの記録に取り組む。
-
瀬川昌久氏、岩浪洋三氏の忠言によりブルーコーツオーケストラ65周年コンサートを
- 機にジャズシンガーとして復帰、同時に昭和の伝統的歌謡の継承に取り組む活動を
- 始めている。