• 高知県高知市出身
  • 203高地出陣の祖父、海兵67期のエリートの父と軍人一家の堀江家、母は高峰譲吉の血を引く満洲帰り看護婦のという明治日本のエートスを色濃く受け継ぐ国際感覚豊かな堀江真美。
  • 10代には地元高知のジャズバンドでプロ入り。ノーチェクバーナの元パーカッション坂元氏から紹介されたペドロ&カプリシャスのペドロ氏の誘いで上京。六本木のジャズクラブを中心に音楽活動を開始。
  • その才能に各レコード会社が注目、複数の大手の音楽事務所から契約のオファーを受ける。当時、某音楽事務所からアメリカ渡航費用が出て外遊を楽しんでいる。同行者は和田アキ子と内藤やす子。
  • ビクターエンターテインメントのプロデューサーであった、ビリー吉田氏が立ち上げる「Zenレーベル」第一号の計画が頓挫。ビクターではシングル「Loving You」のみがシングルカットでリリース。山下達郎、荒井由美が楽曲を提供。 その直後、音楽出版会社との間で契約上のトラブルが表面化し、堀江真美の楽曲、歌はどのレコード会社からもリリースしない取り決めがなされ、その才能は封印された。堀江真美失脚の後、数年経ち「マリーン」「金子はるみ」「伊藤君子」等の時代が始まる。
  • ビクター、ビリー吉田氏から私的に許可を得たインディーズレーベルが1981年、強引にスタンダードジャズのみのアナログ盤を制作。 幻のアルバム「SMILE」によってジャズの業界だけが堀江真美を認め受け入れることになり、その後の活動はジャズの世界のみに限定され、表のメディアいわゆる音楽業界からは堀江真美の名前は消滅した。 同アルバムも店頭からすぐに回収され、デストリビューターから取り扱い拒否、某ジャズ評論家に依頼したライナーノートも書けないと言う返事を受けた数々の妨害の事実があった。
  • 1980年代の堀江真美は自らの楽曲を封印。その後のスタンダードジャズ曲を歌う仕事に専念、森寿男とブルーコーツオーケストラ、はじめ著名ビッグバンドと多くのスタイルで共演。北村英治、世良譲、鈴木章二といった戦後派のスイングジャズのトップクラスとも多くの活動をともにした。
  • 一方裏方として、楽曲プロデュース、番組制作、歌唱指導を依頼され、ヒットの陰に堀江真美ありとささやかれるまでに各方面で重用されて来た。

  • 10代で上京の堀江真美の音楽を見抜き、堀江に影響を与えた人物を列記。 市村俊幸、菅野光明、世良譲、八代一夫、ビリー吉田、豊岡豊、三木たかし、田村翼、川谷卓三 (敬称略)